私は、「負けず嫌い」ではないようだ
こんばんは~!
カクテルパートナーのジントニックを呑みながら酔い気分で更新しております。
(2,3口で顔真っ赤になりました)
今日は、最近気づいた自分の特性について書きます。
最近というか、うすうす気づいてたんですけど、確信めいてきた感じです。
「やっぱりそうだよね、うんうん。そうかそうか」みたいな。
それは、私は負けず嫌いではないということ。
たまーに人から「負けず嫌いっぽいよね」と言われます。
わりと小さい頃から言われていたせいか、何年間かは自分でも「そうかもな~」と肯定していました。
しかし、3月にある人から「福島さんって負けず嫌いだよね」と言われた時は、「いや~、負けず嫌いなわけではないんですけどね~」と思わず口から出ました。
小学3年生からバスケットボールをはじめ、勝ち負けにこだわる環境にいたせいか、自分の中で「負けるのはよくない」と思いこんでたんだな~。たぶん。
試合に勝ったら周りは喜び、褒めてくれる。
負けちゃうと励ましてくれるけど、表情は悲しそう。
小さい時は自分の頭で考えて導いた何かより、周りから受ける影響の方が大きかったりするから、知らず知らずのうちにそういう考えを持つようになってたんでしょうね。
周りの意見なのか、自分の意見なのかもわからないままに、全部自分のものだと思い込んでいた。
でも大学生になって誰かの考える〇〇よりも、自分が考える〇〇を大切にしたい、というか大切だ!!!と気づいてからは、自分の事を自分自信で考えるようになりました。
時には人に聞きながら、時には一人で悶々と。
で、考えた結果私は負けず嫌いではないという結論にたどり着きました!
自分が、誰かや何かに劣っていること(つまり負けているということ)に気づいた時、感じた時に、「悔しい」とか「腹の奥が熱くなる」など何らかの反応は現れますが、それは負けていることに対する反応というわけではありません。
いや、まあ、「あの人に負けたくない」という感情が全くないわけではないですけど。
羨ましい、いいな~、なんで私は違うかな~とも思いますし。
(こりんちゃんのイベントに向かう時にが半泣きしたのを思い出すな~)
※下記参照
リモートワークを頑張る熊本の女子大生の話をきいて思ったこと。 - ぼうけんの記録
負けず嫌いな人は好きですけどね。
パッションがあって、ギラギラしてるの好きですけどね。
でも自分はそこではがんばれないなー。
誰かや何かに勝つためにがんばるのは、ある種美徳でもあるんだろうけど、私はそこではがんばれない。
私の場合はそこを目標にすると、いつか成長の限界がきます。
勝ったらおしまい。ゲームクリア。
もしかしたら私が甘いだけかもしれないけど、人間てそんなに敵意剥き出しのまま人生突っ走れないと思うんですよね。
他人からは敵意に見えても、本人にしてみたらそうではないことも多々あるでしょうし。
まあ、私がそういう生き方をしたくないってだけなんだけど。
だから負けないためにがんばっている人のことを否定はしないし、縁があれば応援もします。
ただ、私は違うということだけ。
違う=嫌い。なんて簡単な考え方はしないようにしているので。
(気をつけないとすぐ好き嫌いで判断しようとするから。自分の人間としての幅を広げたいなら、2択は少なすぎる)
社会人として過ごす中で
・なんの為にがんばるか
・何をモチベーションに繋げるか
を考えた時に、他人や何かのことばかりに意識を向けていたら、虚しい未来が待ってそうだな、と思い怖くなりました。
もちろん仕事において、数字や他社との比較という点ではこの限りではないですが。
「会社のかざり」ではなく、かざりとして考えた時は、そこにフォーカスを当てすぎるのは危険ですな。
盲目と気づかず、電気が点いていないだけと思いこんで、一本橋を渡る感じ。
もっと自分のことを知りたいですな。
そして文章にして世に広めて、誰かの何かに繋げたいですなあ。
会社に入って自分の事を知る、考える機会が増えたので、ひとまず今のところは入社してよかったです!
(そう思いたいから思ってる、とこもあるけれど)
もっともっとですね。
負けず嫌いではない部分で自分を奮い立たせて生きていきます。
個人として立てるから、仕事も楽しめるんでしょうし。
うふ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ブログ更新しましたyo-!
最近ラジオに出ているようで、羨ましい限りです。