ぼうけんの記録

鹿児島に住む中で「鹿児島は情報発信能力が低い」と感じることが多く、地元の資源をうまく生かせていないことにもどかしい気持ちを持っています。情報発信能力を身につけるために「まずは自分のことを発信しよう」と思いブログを始めました。

今の自分と、考えはじめられていること。

ご無沙汰しています。

久しぶりのブログ更新です。

 

昨夜は、Twitterのニュースで熊本の阿蘇山が噴火したニュースを見ました。

桜島の噴火に慣れているせいで、事の重大さにあまりピンと来ていなかったけど、TVのニュースで映像を見たら大きい被害が出ているようで心配です。

桜島の噴火の時は降灰が主で、大きな噴石が飛ぶことはあまりないので、車のガラスやホテルの窓ガラスが割れている映像は衝撃でした。

隣の県として、これ以上熊本に天災が起きないことを願います。

 

このブログは、6月以来の更新です。

更新が止まる日が増えるにつれて「別に見てる人もいないし」と思っていましたが、久しぶりにアクセス数を見ると、PV数が0の日は案外少なくて、日々2,3人ではありますが、見てくれる優しい方もいるようです。

ありがとうございます。

 

先日、ある先輩の過去のブログ記事を読み漁りました。

一番古い記事はその方が20歳ごろの記事でした。(たぶん)

私がまだ中学生ぐらいの時に更新されていた記事です。

私の知らない大学時代の先輩の姿が、本人の言葉として記されていました。(たぶん本人が書いてるはず) 

 

その先輩に対しては、とてもお世話になり尊敬もしていたのに、失礼な態度をとったことを何度も思い出しては、謝罪も連絡もしてない自分を情けないと思いつつ、一歩を踏み出すこともできていない状況です。

 

過去記事を読み漁りながら、「私の記事もいつか誰かが遡って読むかな」「自分としても過去記事に救われる未来が来るかもしれないな」「更新が滞ってばかりだけど、トータルの年数が重なればそれも膨大な記録になるな」とか色々思い描きました。

 

遠くない未来、その先輩は社会的にも実力的にも大きな力を持った存在になると思います。(忙しさに殺されなければ)

外側と内側の溝が極めて少ない、誰かの理想となるような人に。

そこに行きつくまでの過程を近くで見ることはすごくいいことで、貴重な経験ができただろうにな、と何度も思います。

 

チャンスもあって、環境も整えてもらえたはずで、あの時の私は何を考えていたのか全部と距離を取りました。

頭がおかしくなってたのかな。と何度も自分を疑ったけど、最近はたぶんそれはなにかに繋がっているはずと自分の都合のいいように思い始めています。

 

ちょっと自分の中でもめちゃくちゃだし、堂々と人前に出れる生活をしていないから、発信に対してすごく後ろ向きで、書いていることは支離滅裂だけど、もう一人の自分は今の色々を表現したくてたまらなくなってます。

 

生きるということはこんなにも誰かを傷つけるのかと、絶望もしているし、片時も離れずくっついてくれる優しさをくれるあの人に応えたいという希望に似た感情もある。

 

今はすごくひとりぼっちだし、1人になるように自分で仕向ける行動をしているから、逆に今しかできないことがあるはずで。

 

いつかに期待しながら今できることをやろう!と思えるのは、やっぱり文章を書いている時だからかっこわるいけど進めます。

 

きっといつかきれいな線を描くので、今度ともよろしくお願いします。

 

尊敬するあの先輩も若い時はめちゃくちゃで、恥ずかしい感じでした。

それが彼を作ったのなら、もっとめちゃくちゃな私はもっとめちゃくちゃな人生を歩めるはず。

 

 

どうか、今後とも!