人から直接ほめられることについて。
ちょこぱく無事、終了いたしました~!(大分前に)
当初は、11・13日のみお手伝いの予定でしたが、急遽12日午後もお手伝いすることになり、合計3日間数学カフェの一員として参加しましたー!
やー、一言でいうと、「楽しかった!!!!!」です。
(第五腰椎分離症を患う腰は悲鳴をあげてましたが)
3日間。時間でいうと、約22時間アミュ広場に立ち、行き交う人々を見て思うところや、考えるところがたーくさんあったので、それについても書きますー!
アミュプラザに対する想いやら、こういう企画に対してやら。やらやら。
今回は、タイトル通り「人にほめられるとどうなるか」について、学生なり、女子なり、私なりに考えたことを書きますー!
Q.そもそもなぜ「ほめられること」について書くのか?
A.最近私自身がほめられることが多いからです!
ただ、ほめられているかどうかというのは、本人の主観に左右されることが往々にしてあると思っていて、言葉を発した本人はほめたつもりではなくても、受け取った人にとっては「ほめられた」と受け取る場合もあるので、なにをもって「ほめる」と定義するかはここでは明言しません。
私の場合は、私がほめられたと思えば、ほめられたことになるのです!!!
哲学的な話になる部分も多いので苦手な方は、
西日本初開催の「チョコレート博覧会」で、数学カフェのお手伝いをしたいと思った理由。 - ぼうけんの記録
を読んでいただけたら、泣いて喜びます。
(とある社会人「住宅関係の社長さん」におもしろいって言ってもらえました)
最近の私がなにについてほめられたのかというと、このブログ「ぼうけんの記録」についてです。
いただいた言葉としては、
・共感できる人多いと思うよ
・よく書かれてるよね
・よそからひっぱってきた言葉っぽくない
・最後まで読ませる文章だよね
・表現がおもしろいよね
・ブログがおもしろくってさ
・ブログ読んでるよ~
(多少の脚色はご愛嬌ということで)
やー、どれもうれしいっす!!!
ありがとうございまっす!
ブログを始める前は、facebookに長文を投稿していました。
あの頃は、コメントがついたり、「いいね!」がもらえることが嬉しくて、暇さえあれば自分のページを開いてコメントや「いいね!」の数ばかり数えていました。
はてなブログの場合もアクセス数が確認できるので、「今日はどれぐらいかな?」と軽い気持ちで確認して、「全然増えてないやんけえええ」と思ったり「10いったか」「お!50超えた!?」「100いきそう!」と程度の低いところで盛り上がったり、盛り下がったりしています。
数という指標で記事の良し悪しを決めるのもいいけれど、人から直接言われた方が数万億倍うれしいっす!!!
この先の人生で、数百、数千PV稼ごうが、この気持ちは変わらないのだと思います。
というか、変わってほしくない、大切にしたい自分の感情でもあります。
誰かに「ほめられる」と大半の人は、うれしいという感情が沸くはず!
うれしいのエネルギーは凄まじくて、私の場合は「もっとほめてもらお!」とますますがんばりたいと思うのです。
(そのわりに更新ペースが鬼のように遅いのは、よろこびを噛み締めているからだと思ってください。噛み締めすぎて味なくなるぐらいです。骨までしゃぶってます。)
22年間生きてきて自分でも薄々思っていて、ある日突然人に言われて「やっぱりそうか!」と自他共に認めることになったのが、「私って承認欲求が強めだ」ということです。
言いふらしてる「将来作家になりたい」も「誰かと同じ世界を共有したい」「自分のことを誰かに知ってもらいたい」というニーズを満たすための手段にしか過ぎないのかもしれません。
とはいえ、言ってる内により強く「なりたい!」となり、今では「なります、本出します私。」と思っています。
一時期は、「小説家になりたい」という夢を人に言いふらしまくった反動で、「ならなきゃ」と自分を追い込んでしまい、勝手に押しつぶされそうになっていた時期もありました。
書けない、書こうともしない自分に不信感が募り、負の毎日(俗に言う闇期)を送っていたこともありました。
でも「小説家は自分の望む何かを手に入れるための手段のひとつかもしれない」と考えると、大分楽になりました。
夢を手放す瞬間でした。
「もうだめだ」「むいてないや」という感情からくる諦めではなくて、「ニーズを満たすための方法は小説家になる以外にもたくさんあるじゃん!」と考えるようになりました。
将来の夢に縛られない感覚。
より自由になれた感じです。
将来の夢って持ってる方が人生の指針になったり、進むべき道が定まりやすいので一見よさそうですが、それしか見えなくなると視野が狭まり、自分の可能性の目を自ら摘んでしまうことになりかねません。
でも「小説家」がひとつの手段だと気づくと、他のことに意識が飛ばせるようになりました。
ブログも飛ばした意識のひとつが形になったものです。
小説を書くこと、書き上げることだけが文章表現ではないこと、ニーズを満たす方法ではないことに気づき、身に刻み、実践しているのがこの「ぼうけんの記録」です。
だからこそ、「ほめられるとうれしい!!」のだと思います。
口にした人の真意として、ほめているつもりはなかったり、私のことを認めているつもりはなかったとしても、私は「ほめられた」「認められた」と変換して受け取ります。
そして、「ほめられるとうれしくてもっとがんばる」みたいな話が先にありましたが、ほめられると、ほめてくれた人の顔が浮かぶようになるんですよね。
「新しく記事書いたらあの人また読んでくれるかな」とか「あの人はこの記事を読んだらどう思うのかな」とか。
アクセス数を見て「この数字の1はあの人かもしれないな」などなど。
全然更新しない時もアクセス数だけは見るので、数字が一桁の時は「しまった!あの人もしかしてきてくれてたのかな」「新しい記事書いとけばよかったな、チクショー」とも思います。
ひとりよがりだった私の言葉達が、誰かの目に触れたことで、文章として認められる。これがとても嬉しいです。
言った人はただの感想のつもりだったかもしれないけど、それでもとてもうれしいです。
誰かの日常にお邪魔させてもらえて、ありがたいなと思います。
私も自分の日常に、いろんな人の言葉を住まわせて憧れを膨らませているので、それと比べると小さいことかもしれませんが、少しずつでも自分もそうなれているみたいでうれしいです。
たかが22歳のしょーーーーーーーもないブログですが、会った時に直接声をかけてくれる人がいることで、「ああ、私の文章って誰かの読み物になってるんだ」と実感できました。
きっとこの輪が大きくなった先に、私が見たい景色のひとつがあるのかも!
ないのかも!!あったらいいな!!!
まー、輪が大きくなったらほめられるだけじゃなくて、誹謗・中傷も現れるんでしょうが、それは仕方ない!
成長の途中でそういうのは出てくるものって本に書いてあったし!
対処はその時の自分に任せまっす!
この記事で伝えたかったのは、
・ほめられるとうれしくてもっと書こう!と思うので、うれしいやつもっとください!
・こういう思いもありつつブログ書いてます!
の2つでした!
あざっす!
今後ともよろしくお願いします!!
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見た目は大学生。
本当は20代後半のよーさんのブログもよろしくです!