ぼうけんの記録

鹿児島に住む中で「鹿児島は情報発信能力が低い」と感じることが多く、地元の資源をうまく生かせていないことにもどかしい気持ちを持っています。情報発信能力を身につけるために「まずは自分のことを発信しよう」と思いブログを始めました。

おかあさん自慢。

「とうとう大学卒業か―。」とちょっと憂いているモラトリアム人間です。

 

こういう時の私は脳みそが言葉で埋まります。

急に頭のなかでナレーションが流れ、目に映る日常がちょっとスローモーションになって、映画を見ているような気分になります。

目線がカメラのレンズになり、日常をキリトル。

 

卒業を控えた人間というのはこうも感傷的になるんすねー。

(え?私だけですか、そうですかっ)

 

こんな感傷的な今の私だから書けることはなにかなー?と考え、思いつきました!

おかあさん自慢を思いつきました!

 

以前から、「子を育てる側の視点で語られる子育て〇〇はよく聞くけど、自分がどう育てられたか、育ててもらったかはあまり聞かないなー。聞きたいなー。話したいなー」とぼんやり思っていました。

いつかのfacebookで、コメタクのさくらさんが新潟で「おばあちゃん自慢会」だったかな?をしていて、「いいなー。すてきやー。」と羨ましがっておりました。

 

私の意図する〇〇自慢と違うかもしれないけれど、自分のおばあちゃんを自慢するっていいなー。私も自慢したいぃぃい。と悶えておりました。

 

重ねて、社会人になると「おかあさん、おかあさん」と頼るだけでなく、こちらからどーんと!支えにゃならんな、とも思うわけです。

扶養からも外れるし。

 

そして、大学卒業を控えた今だからこそ、保育園から大学4年生までいろんな面で助けてくれた、ここまで育ててくれた母にとても大きな感謝をしています。

いつも感謝してるけど、卒業を控えている今だからこそわきあがる感情があります。

 

学生として、ぎりぎり子どもとして今こそやります!

おかあさん自慢!のはじまりはじまりー

 

 

私はおかあさんのことを、「おかあさん」と呼びます。

たまーに名前で「〇〇さん」と呼ぶこともありますが、たいがいはおかあさん。

お母さんじゃなくて、おかーさんじゃなくて、おかあさんです。

 

おかあさんと私は約30歳離れています。

私は一人っ子で、母子家庭なので、母一人子一人です。

(お父さんとはたまに連絡します。祖父母は4人とも生きてて元気です。みんな自分の足で歩きます。)

 

おかあさんはお父さんと別れた後、私を連れて鹿屋の実家に住み始めました。

 

誰しもが通るであろう思春期の時期は激しく衝突しました。

中学2-3年の頃です。

まー、連日の喧嘩ですね。エキサイトすると掴みあいでした。

髪をひっぱったり、ほっぺを叩かれたり、びんたもね、叩かれました。

私もやりかえして、ひどい時は物を投げたり。

22歳になって振り返ると、何がそんなに嫌だったのか、感情がむき出しになったのか思い出せないけれど。

 

でもどんなに喧嘩をしても、私が無視を決めこんで実行しても、必ずご飯を作ってくれました。

服を洗濯してくれました。

こっちはムカついてイライラしていて、一緒にいたくないから「ご飯いらない」って言ってるのに、毎回「食べなさい」って絶対にテーブルからさげなかったなー。

 

喧嘩してるのに、食べるご飯は絶対おいしくて、おかあさんもムカムカしてるはずで、本当はご飯なんか作りたくないだろうに、出てくるご飯は絶対おいしかったです。

おかずが減ることはなかったし、お米がべちゃべちゃとか、かたすぎることもなかった。

食べ終われば皿も洗ってくれました。

 

この前の日曜日に、卒業式の着付けのために、予約した美容院に着物を持って行きました。

成人式もそうだったけど、美容室のおばちゃんは元気で、「〇〇おめでとうございます」って言ってくれて、自分の子どもとか、孫の話をしてくれるのです。

「私の子どももねー」とおばちゃんが話すと、「うちもですよ」とおかあさんがこたえる。

ちょっとした恥ずかしさと、一瞬居心地の悪さを感じるけど、我が子の話をする女性はすごい優しい雰囲気を纏うんだよなー。

ほんで笑いながら、「大変でした」って言うんだよなー。

その時におかあさんが言っていたのが、「子どもと喧嘩をして、自分も腹がたって、ご飯も作らんどこかいね〜と思うけど、母親としてするべきことはちゃんとして。そしたら大人になった時にわかってくれるものですよ」


あー、もうこういう時、私ほんと、この人の子どもに産まれてよかったなーと思います。 

ちょーいい女なんです、うちの母。

見た目も年齢のわりにきれいだし、仕事をしていてあまり来てくれなかったけど、小学生の時の授業参観の時は、鼻が高かったです。笑

 

高校から実家を出て、大学に入ってからも鹿児島市内で暮らして、全然鹿屋に帰らなくても「実家に帰ってきなさーい」なんて言わないし、でもこっちが「帰ろうかな」って言うと「いつでもいいよ」って言うし。


大学進学や就職で県外にでようかな、アピールをすると、「九州にはいてほしいけどねえ」と本音を混ぜつつ「外国にでも住めば?」とか急に提案してきたりもします。笑


私はこれまで受験をしたことがなく(基本的に推薦でした)、勉強してこなかったのを、他の人と比べてコンプレックスに感じていたこともありました。

「自分は学校の勉強はあまりしなかったけど、いろんなことを考えて、見て、経験してきたし!」と思いつつ、「受験勉強しとけばよかったかなあ」とちょっといじける事もありました。

(目指す学校があったわけではないのに)


なんで勉強しなかったのか?と考えると、

・平均的な点数は取れていた

・偏差値が高い学校を目指す環境にいなかった

・スポーツに夢中だった

などあるのですが、「これだ!」と思ったのが、母の口から「勉強しなさい」と言われたことがなかったのです。


圧倒的に点数が悪いわけでもないから、大して心配もしてなかったのでしょうけど。(30点のテストを持って帰った時も叱られなかったけど)


覚えているのはいつかの子どもの頃に、夏休みだったかな?

忍たま乱太郎のアニメじゃなくて舞台がテレビでやっていて、そのなかで「0点チャンピオン」ていう歌が流れてたんです。


お勉強ばかりがんばってもダメなのさ
逆上がりができなくちゃけっこう格好悪い

ある時、どんな話の流れでそうなったのかは覚えてませんが母が「忍たま乱太郎0点チャンピオンっていう歌があるでしょ、勉強だけが大切なわけじゃないのよ」と言ってくれたのを覚えています。

都合のいい私の頭は「好きなことを楽しんでやればいいのか」と変換して、今も勝手にその言葉に救われたりもしています。

(勉強していれば、なおよかったとも思うけど)

大学に入ってからは「正解がわからないながらも進まなきゃならない状況がある」ということを知ってから、ますます母の言葉の意味や深さ、重みを実感する日々です。

どんな時も母として堂々としてくれていたおかげで、たくさん救われました。

もう一度。
うちの母は、いい女です。

なんかまだまだ書きたいなー。
ひとまず。


明日の卒業式はお礼の手紙を渡します。
泣くで、たぶん。笑

私も大学生、お疲れ様でしたっ!

f:id:aqua20101204:20160316230131j:image